歴 史
 
    縁起
 
 
  当寺は、『一谷山最頂院妙安寺(いちこくざん さいちょういん みょうあんじ)』と称します。
 歴史を遡ること約1400年。当寺の前身は、推古天皇(594年頃)の勅願により国家鎮護のために、聖徳太子ご創立の霊場として『三論宗最頂院葛城寺(さんろんしゅう さいちょういん かつらぎじ)』として建立されました。その後、星霜を送ること8代にして天台宗に変わりますが、当時の栄華も諸行無常の風に吹かれ、無住の廃坊と化しました。
 承元4年(1210)に常陸国稲田(現在の茨城県笠間市)に於いて、宗祖親鸞聖人のご教化にあずかった成然房(じょうねんぼう)は、天福元年(1233)に聖徳太子の霊夢で「最頂院を再興せよ」とすすめられ、廃坊を再興し、寺号も「一谷山最頂院妙安寺」と改め、現在に至りました。
 
天台宗時代のご本尊:十一面観世音菩薩像 
 
 
  
 
    宗祖親鸞聖人
   【関東雛形の御真影】
 
 
 もともと当寺には、聖人ご自作の御形見のご真影が安置されていました。当寺に安置していましたその聖人ご自作の御真影は、教如上人にお渡しするように徳川家康公より要請があり、慶長7年(1602)東本願寺に安置されることになったからです。そのかわりに覚如上人の御写しの御真影【関東雛型の御真影】を教如上人より賜り、当寺に安置することになったのです。
  覚如上人の御写しの御真影【関東雛型の御真影】については、覚如上人がご伝鈔(親鸞聖人の伝記)をご制作されるにあたり、関東巡拝の際、当寺へお立ち寄りなされました。その時、聖人ご自作の御形見のご真影を拝し、深くお喜びになられました。その御姿を雛形として彫刻された御木像です。
 
  
 
    開基 成然房円信
 
 
 成然房は、俗称を九条関白兼実公の第十男中将幸實(玉日姫の兄)と称し、承元4年(1210)に勅勘により東国(さかい)へ配流されました。
 たまたま縁者に当る親鸞聖人を慕い、ご教化を受け、門弟となり、法名を成然房円信と賜りました。
 弘長2年(1262年)に京都に赴き、聖人にお会いし、下向の時、別離を悲しむ成然房に聖人は慈愛のあまり自像を彫刻し与えられたと伝えられています。成然房は、下総国三村にその寿像を奉じ、日夜念佛を広通し、文永2年(1265)10月25日88才でこの地に寂したといわれています。
    
   
    聖徳太子像
 
平成29年(2018)に修復工事完了
 
  
  境内には、太子信仰が盛んであったことがうかがえる太子堂があります。
 
その堂内には
太子16歳の孝養像が安置されています。右手に柄香炉を持ち、左手には杉の枝を持っています。
 この太子像について、この村に伝わる昔話があります。
  ≪昔むかし、ここの村が火事に遭った際、この太子の像がお寺を守った≫という話です
 そこから、この像を『火防の太子(ひぶせのたいし)』ともいわれ、左手には杉を持ったお姿になっています。
 毎年4月上旬には、太子講として建築関係の方々はじめ多くの方とともにお参りと寺宝の太子絵伝を絵解きしています。
 
 
 
太子堂下の池に咲くスイレン